セリーヌ・ディオンの決断に思う。「なぜこの地の女性はこんなにも手に入れられないものが多いのか?」

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昨日、「ツクツクホウシ」の初鳴きを聞きました。もう夏も終わりか…。

こちらは久しぶりに晴れています(時々曇り、夕方雨降りそう)。

今日は、ドロドロの中の甲子園をテレビ見ながら応援していました。いい試合だったなぁ~。応援してる方が勝って、うれしかったけど、相手も本当にいい戦いでした。

早くお風呂に入れるといいね!

私がブログを始めるのに、「はてな」を選んだのは偶然というか行き当たりばったりでした。

seesaaと最後までどっちにするか決めかねていたけれど、はてなに決定しました。

その理由は覚えていません(わずか1か月ちょっと前のことなのに)。

昔、はてなでダイアリーを書こうかな、と思ったことがあって、親近感があったからかもしれません。

で、書き始めてビックリしました。

今まで見ていたブログは、fc2かアメーバが多かったのですが、それらとは違う世界でした。

男性の書き手が多い、商売ブログ(お店の宣伝を兼ねてやってるブログ)が少なく意見ブログが多い(しかも結構辛辣で過激な意見が…)。

はてブとかホッテントリとかはてな記法はてな村など、正直わからないことだらけ。

いちいちググって調べたり、かなりの時間をかけて勉強させてもらっています。

場違い?とは感じましたが、その場違いさがなんていうか心地よくもあり新鮮でもあり、

何より、商売でなく文を書いている人たち…って好きです

(別にお小遣い稼ぎでアフィリエイトやってるくらいは気にならないですし)。

 

で、私もこう、自分の考えを記事にしてみようかな、なんて考えて一度書いてはみたのですが、

そのまま永遠と下書きに保存しておくことになるかもしれません。

うまく書けません。

今まで見てきたブログは、なんていうかオシャレな生活ブログとか料理ブログで、

コメント欄は褒め言葉だらけ。

今思えば、いちいちこんなコメント書かなくてもいいんじゃない?何がいいたい?

自分のとこにコメントもらったから義理で書いてるんだなぁ~というもの。

でもだからって、ここに自分の考えを書いて、悪意ありありのコメントとかもらったら、

落ち込む…タイプではないけれど、やる気なくす…タイプです。

そもそも私は自分の意見を他人に読んでもらいたいのか?も疑問ですし。

ただ吐き出したいだけのような気もするけど、共感してほしい気もする。

反論は多分してほしくないです。

 

今日は、少しだけ、意見っぽい記事を書いてみます。

できるだけゆるく。

前置き長すぎでしたね。

 

セリーヌ・ディオンが癌である夫の介護と子供たちとの時間を作るために、日本公演等をキャンセル、芸能活動を無期限休止してことについて。

 

基本的にマイナー思考気味な私は、セリーヌなんて、正直どうでもいい存在でした。

有名な歌手ね、だから?って感じで。

でもこのニュースを知り、俄然彼女のことが知りたくなりました。

 

そして調べてみると、夫レネさんは72歳。セリーヌは46歳で、親ほどの年の差。夫は12歳だった彼女の才能を発掘した人であり、私財をなげうって売り出し、ずっとマネージメントをしてきた。94年に結婚し(レネさんは3度目の結婚)、13歳と3歳の双子の子供がいる。

 

「この人すごいな。好きかも。自分がある」

私の正直な感想。そりゃあ、お金があるから仕事のキャンセルもできる…だけど、

自分の人生のタイミングを見逃さずに、自分の歩むべき道を見定め、決定できる彼女はすごいって思いました(もちろん周りと相談もしただろうけど)。

「愛があるなぁ~」

それでも、二人の関係がギクシャクしていたことはあるんだそうです。

それも思いやりというか努力で乗り越えたそうで。

セリーヌ、完全無欠です。

実は、私彼女と同年代(同い歳ではありません!)。

恥ずかしい限りです。

 

米国・国務省に勤めていたワーキングマザー、アン・マリー・スローターの話、ご存知でしょうか?二年前の話です。

彼女の夫は家事に協力的であったけれど、二人のティーン・エイジャーの息子が問題を抱えていたため、国務省をやめ、子育て中心の生活ができる大学教授の職に戻ることを選びました。

そして、アトランティック誌に「なぜ女性はすべてを手に入れられないのか」という記事を書き、論争が起こりました。

 

私の意見ですが、すべてを手に入れられないのは、女性だからではなく、

男性もそうなのかな?と思います。本人の満足度にもよると思いますが、みんなそう。

アンの場合は、息子たちがものすごく物わかりがよく、お母さん離れをしていたら、話は違っていたかもしれない。ただし、国務省の仕事を続けていたとしたら、将来別の弊害が出てたかもしれませんが。

多分、日本よりは恵まれた環境のアメリカでさえ、そう(仕事と育児を両立させ、そのほかも充実した生活をすることの難しさ)感じる人がいるのだとしたら、

私がそれを感じないようになるには、後何年かかるんだろう。

私の子供の世代でさえも無理かもしれない…と悲しくなりました。

産んでよかったのか…とまで思うこともあります。この理由だけじゃないけれど。

 

現在私は、自分が住みたいと願わなかった地域に住み、育児優先のためほとんど仕事をしていません。

自分自身の弱さや子供達への甘やかしとかもあるのかもしれませんが、

とにかく陸の孤島のようなロケーションのこの地では、「車が運転できる、時間に融通のきく人」がいないと、あるていど快適な生活はできないのです。

もちろん十分すぎるお金があれば話は別ですが。

いや、でも移動のすべてがタクシーとかになったとして、果たして子供達が納得するでしょうか?

今は仕事をしなくても生活はできていますが、将来を考えると怖くなります。

だからといって、将来のために仕事をする…余裕がありません。

同居ではありませんが、そろそろ親の介護も迫ってきています。

仕事は、やるならば、本格的に自分のスキルを活かせる仕事に就きたい。

でもそんなわがまま通したら、家に滞在する時間は何時間になるんだろう…。

 

それでも周りには、私に対して「恵まれてる」…という人もいます。

私と同じような状況でも、日に3時間であっても、働かないといけない人がいるからです

(ちなみに私も週一で働いてはいます。色々あって今年度からぐんと仕事を減らしたところです)。

驚かれるかもしれませんが、この地区の最低賃金は時給670円くらいです。

しつこいようですが、大人は一人一台車がないと生活できないようなロケーションです。

子供の学校のクラスには貧困家庭の子が何人もいます。

そして母親の労働と、それによる疲れが原因の、つらさを我慢している子もいます。

 

アン・マリー・スローターが、底辺近くにいる女性のことを考えてくれたかどうかはわかりませんが、

社会がそれをさせてはくれない、と声をあげてくれたことはよかったと思います。

セリーヌも心の片隅では「なんで全部を手に入れられないの?」って思ってるかもしれませんし(世界中のファンに申し訳ない気持ちはいっぱいでしょうしね)。

 

アンのように選択できること自体、まだ幸せなんだということ。

しかも彼女は国務省の仕事は辞しても、大学教授の職がある。

せめてこの地でも、子供が不安定になったり、夫や親の介護が必要ならば、

母親が仕事をセイブする選択ができるくらいの社会になってほしいと願います。

「なんでこの地の女性は、こんなにも手に入らないものだらけなの?」

からの脱却です。

そしてセリーヌのように、自分にとって一番大切なものを、選んで生活できるようになれたら、もっといいですね。

それは人によってはセリーヌとは違う選択でもいいと思います。

 

やっぱりなんだか言いたいことが、はっきりとしてない文のような気もしますし、単なる愚痴?という気もしますが、

とりあえず、名もなき個人のブログということで、勘弁してください。

 

生きにくいなかでも、日々の暮らしの中に小さな幸せを感じながら、

毎日を過ごしたいと思っています。そうできない日も多いですが。

 

 

うっ今日も長い文になってしまいました。

読んでくださってありがとうございました。

もう長い文を書くのやめる、っていうのやめようかな…。

それと、いいかげん記事のカテゴリー整理をしなくちゃと思っている私です。

ジャンルが多すぎて、大変です。

かといって、ジャンルごとにブログ作って運営なんてそんな器用なことできないし。

 

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