いやなことに向き合うということ
もう事故のことは忘れよう、保険屋さんに任せようと思っていたのですが、
どうしても割り切れなくて、ずっと具合が悪いです。
何をしていても事故のことを思い出し、憂鬱な気分になってしまいます。
相手の方が、
「前は見ていました」
と、発言を変えられたそうです。
驚きました。
本当に、私は、何に誓っても、普通に徐行して(10キロも出してなかったと思います)、
前に進んでいただけなのに、
ちゃんと周りにも注意して運転していたのに、
そこに追突されたのに、
過失があるのでしょうか?
なぜ、相手の方は発言を変えられるのでしょうか?
自分の支払い分を少なくしたいからでしょうか?
私には、はっきりと
「すみません。まったく前を見てなくて」
とおっしゃったのに。
録音しておくべきだったのでしょうか?
最初からとても低姿勢で謝られていたから、
私は何一つ責めなかったのに、
私が馬鹿だったんでしょうか?
ここ数年、かなりつらいことがあった時期も、
他人に、ものすごく助けられてきました。
だから人を信じて生きていこうと思っていたのに。
いやなことに向き合うのが、とても苦手です。
逃げ出したくなります。
逃げたい!と思うからいやなことが沢山追いかけてくるんでしょうか?
何か起こることには、すべて意味がある
という話を聞いたことがあります。
もし、それが真実だとしたら、今回のこの事故の意味は何なのでしょうか?
考えても、考えても解りません。
2014年のお別れ。さよならしたいもの - fuyuの月夢手帖
ここに書いたさよならしたい「不運からの脱却」。
まだまだできそうもありません。
今日はこんな愚痴ブログ、読んでくださってありがとうございました。
そしてごめんなさい。
他にもいくつか、向き合わなければいけない「いやなこと」を抱えています。
それが自分のことではなく、家族のことであると、なおさらつらいです。